野球部時代の話

先に言っておくが、少々ショッキングに感じる人もいるかもしれないので観覧注意。

 

自分は小中高と野球をやってきた。ポジションはピッチャーだった。

今思えば人生の半分以上野球に打ち込んでいたのだ。クズの癖によく続けてこれたなと感心する程である。

 

野球を始めたキッカケといえば、元中日ドラゴンズの トニー・ブランコ選手 の、あの豪快なバッティングに憧れたからである。

しかし、試合で打てたヒットと言えば10本位しか記憶にない。全く打てなかった。

なので、バッティングに関しては小5の時点で諦めた。ピッチャーとしての仕事に専念するようになったのだ。

 

体がデカかったという事もあり、小学校では4番ピッチャー、中学校では全く打てなかったことがバレて8番ピッチャーだった。

 

 

 

えっ?「高校は?」だって?

 

補欠でした。

補欠といっても2番手ピッチャーで、成績は正直1番高かった。あまり負けた記憶が無い。「なら、なんで補欠やってんの?」と聞かれたら、答えあげるが世の情け。

だだ単に部顧問にめちゃくちゃ嫌われてました。

その部顧問は自分が高校1年生の頃に担任で、最初のうちは話しやすいという事もあり好かれていた。

しかし、3年生が引退して慣れてきた頃、自分が集中的に叱られるようになった。その先生は1人の生徒を決め打ちして叱りつけ、場の空気に緊張感を持たせるタイプの先生だったのである。

自分は先程も言った通りずっとピッチャーもやってきたし、野球の他にもさまざまなスポーツをやってきたので、ハートの強さには相当な自信があった。鋼メンタルとはよく言われたものである。

だから、何とかなると思っていた。

「何とか耐えて他の人に移るのを待つしかないか…。」と、普通に最低なことを考えて耐え忍んでいたが、2ヶ月で限界が来た。10月の半ばから、体の不調を感じるようになった。

「寒くなってきたし、ちょっと体調を崩しただけだろう。」と、適当な理由を自分に信じ込ませて生活し、冬休みを迎えた。

部活は冬休みは完全にオフで、長期休暇に入り心身を癒す事に成功した。また頑張ろうと気合を入れて休み明けを迎えた。

が、信じられないほどの頭痛と吐き気に襲われたのである。

症状が出た時、全く意味が分からなかった。もちろん早めに寝たし、適度に体も動かしていたので、こんなに重い症状が出る理由が無いと思ったからである。

病院を3件くらい転々としたが、特に異常があると出なかったため、心療内科の先生に相談してみた。

学校での自分の立場、先生の自分に対する扱い、10月頃から感じていた体の不調などを赤裸々に話した結果、適応障害であると結果が出された。症状から見ても間違いないとの事だ。

風邪気味で熱を測り、38.0℃とかの表示が出ると余計体調が悪くなるような感じがした人は大勢いると思うが、それと同じように、気持ちが大きく沈んでしまった。

まさか俺が。この俺様が精神の病気で通院する事になるなんて思いもしなかった。状態としては最悪で、常に頭痛と吐き気に襲われて何も手に付かなかった。そのせいで全く睡眠も取ることができなかった。なので、自分は1月から休校を余儀なくされた。

 

あの憎たらしい顧問が家に謝りに来たのは悪い気がしなかったが、このままでは留年してしまうので、調子のいい日は多少無理して授業に出ることにしたが、部活には顔を全く出せなくなった。部活をやりたくてその学校に行ったので、かなり辛かった。

しかし、部活を辞める気は起きなかった。今思えば何故辞めなかったのか不思議でしょうがないが、辞めたら負けだと思ったのだろう。

その後は2年生になって復活し、普段通り部活に参加するようになったが、その部顧問とは必要最低限しか話さなくなったし、叱られることも無くなった。

 

2年生の7月には完全試合をしたり、とても順調であった。だが、自分が背番号1を付けることは無かった。3ヶ月休んでいたことを考えたら当然ではあるが、悔しくて仕方なかった。

 

引退してそろそろ1年になるが、今のところ野球をまたやろうと思ってはいない。草野球に誘われたこともあるが、結局行かずじまいだ。

あんなに好きだった野球から疎遠になってしまったのは心残りがあるが、恐らくやらない方がいいのであろう。

 

今後は、自分のような奴が出てこないことを願うばかりである。こんな野球とは関係ない所で苦しい目に合う人が出るのは絶対に避けなければならない。

もし、同じような事で苦しんでいる人がこれを読んでいる人の中にいるとすれば、是非自分に相談して欲しい。必ず味方になろう。

 

たまには少し真面目な話をしてもいいよね。うん。